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- インタビュー
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「良品は困難に打ち勝つ」
野口家は岐阜羽島の出で米穀商をしていたと母から聞きました。
一族のなかで秀之進は大変に器用でモノづくりが得意な人で、
明治37年に東京・麹町に自転車修繕屋をはじめます。
やがて製造、販売、そして卸と業態を変えます。
私の父、義雄は不景気な昭和3 年に20 歳で二代目として野口商会を引き継ぎました。
17歳の正子と結婚したころ、名古屋に商売の軸足を一年ほど置き、“江戸前の部品”を
関西に売り込み、東京に戻って卸として得意先を増やして屋台骨を再建。
しかし昭和16 年に太平洋戦争に動員されて樺太に出征。
私は学童疎開。母は疎開先に自転車部品を運び込み、
戦中に物々交換でタイヤ1ペアが米1俵になり私たちを育てました。
戦後東京に戻った母は焼け野原にバラックを建て商売を再開。
戦後もシベリアで強制労働・抑留生活を強いられた父は戦後1年でやっと帰国。
父は出征にあたり死を覚悟し、部品製造業の人で助けが必要な人たちに
お金を貸し与えていたから、借りた業者たちが「御徒町のダンナが帰ってきた」と
お金でなくモノで返してくれたので、物不足な時代に大いに助かったそうです。
私は40歳で三代目になり80歳で社長退任するまで、
オイルショック、為替変動、日本の自転車産業空洞化などあったものの、
卸商として筋を通した仕入れ・販売に傾注し、真面目に良い商品を仕入れて売った。
“良品は勝つ”が信条。
自転車製造卸協同組合理事長として業界に尽くせたことも誇りです。
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「不変のモットー“みなさまの倉庫”」
時代は繰り返しますね。
いい時もあれば、悪い時もある。
それでも貫かないといけないことがある。
野口商会が1987 年(昭和62)に東京・下町の御徒町から埼玉・越谷の流通団地に
営業所を新設した時代は業界に波風が襲ってくるような状況でした。
卸問屋である野口商会の基本は地方卸が商い相手でしたが、
1990年代後半から流通構造がガラッと転回。
部品製造メーカーが急激に減少し、日本ブランドの完成自転車は
海外でアッセンブルされ輸入車が増えました。
チェーン展開する大規模ホームセンターが格安自転車を扱いはじめ、
従来のやり方に固執しては生き残れず新しい販路開拓に駆け回る毎日でした。
2000 年代になるとスポーツサイクルが得意なショップがある一方、町の自転車屋さんが減少の一途。
消費者がモノを買うルートもネット通販などで様変わり。
そんな現状だからこそ野口商会は、創業当時からのキャッチフレーズ、
“みなさまの倉庫”であろうとしています。
商品在庫は野口商会にお任せください。
注文があれば翌日にはショップにお届けする体制を整えています。
創業120年、一貫するサービスです。
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「業界全体で目先の利害を超えて未来へ!」
野口商会は万全の品揃えアイテムだけでなくオリジナル商品開発もします。
当社のオリジナルブランド“I Iive”はカエル型フィギュアライト
“I live Light”が始まりです。
生きているようなリアルデザインは私が手がけたのですが、
売れやしないと思われ当初はショップからの注文はほとんどなし。
でも一部の消費者がブログに書いてくださり指名買いの火がついた。
第二弾の“ぶらさカル”はテールランプが心臓の拍動を模したボワン・ボワンと点滅する基盤を開発導入、これを扱いたい小売店が新規口座を設けてくれて販路も拡大。
バイクメッセンジャーが流行した時代に大きいチェーン錠のカバー付きを発売。
反射材カバーが自転車に乗る人々の安全に寄与するアイデアでしたが、
これもヒットして安全性を併せ持つデザインは業界標準になりました。
2016年から始めた“サイクルパーツ合同展示会”は、
大手メーカーはもちろん自転車関連ならどこでも参加でき、開発した新製品発表の場、
小規模製造業の受注機会創出など、業界による業界のための催事です。
今年から社団法人を立ち上げて運営します。これまでも非営利でした。
いわゆるサイクルショーは自転車業界とコンシューマーの両者から
利益を得ようとする運営ですが、サイクルパーツ合同展示会は業者には、
“コスパのいいサイクルショー”なのです。
無駄を省いて、切磋琢磨で業界が盛り上がれば、
回り回って消費者の利益につながるはずです。
市場が活性化した未来に、私たちは収益を刈り取れればいいのです。